この夏、家族にちょっと不安になるようなことがありました。
私にとっては義理の娘(相方の長女)であるMさんが、今までに経験したことのない激しい頭痛を訴え、病院に駆け込むという事態が起こりました。すぐにMR検査を行いましたが、何度検査しても明確な答えが出ず、約2週間空けて再度精密検査となり、その間、本人はもちろん、家族は不安を抱えながら過ごさなければならなくなりました。普段、よくしゃべる相方も言葉数が減り、「たいしたことないと思うんだよな〜、大丈夫だよ、大丈夫」をよく口にしてはふと、心ここにあらずの状態が多くなり、私は余計なことは言わずに、ただ私にやれることをやる。そう過ごしました。精密検査の結果、首の血管が異常に細い箇所があり(動脈硬化ではなく、先天性のもの)、詰まりやすく、激しい頭痛もそのせいだろう。という医師の判断だったようで、これからも経過観察しながら、という事でした。結局、最初に病院に駆け込んだ時の診断と大きな差もなく、なんだ、この不安の2週間を返してと言いたくなる反面、大きな問題もなく、Mさん家族と共に7月末の町の花火大会を私たちの家(屋上から花火が見えるんですね〜)で一緒に過ごす事ができました。とにかく良かった。
精密検査までの2週間の間、Mさんの1歳になる愛息子、つまり孫をあずかる日がありました。
子供好きの私なんですが、残念ながら授かる事が出来なかったので、不安の中でも「こと孫の世話が出来る事だけに関しては」大喜びで、もうもうもう、べったりでした。じいじ(相方)も同じく。そう、上京中の私の母もいたので、とにかく皆んなが、もうホントに愛くるしいチビちゃんの一挙手一投足を見てウットリと目を細める状態。
ひとしきり遊んだ後、お昼寝の時間。チビちゃんよりも先にじいじはヘトヘトになって寝てしまい、85歳の母も自分の部屋に引っ込んでしまい、まだ少し興奮状態のチビちゃんを、抱っこして寝かしつけて、小さな呼吸音を聞きながら『命の順番』という言葉を思い出していました。
『命の順番』は守るもの。母の言葉
もう15年ほど前になってしまいますが、つらい不眠症で近所の心療内科にかかり、わずか10問ほどのチェックシートに答えて「典型的な『うつ病』」と診断されて、てんこ盛りの薬(12種以上の精神薬)を処方され、気づいたら、自分に効いていると思える薬ばかりを大量に服むようになり、オーバードーズとなって、1ヶ月精神病院に入院、その後1年ほど地元の福岡で療養をした経験があります。
当時の医師やケースワーカー、精神保健管理士からは、もう社会復帰は難しい、精神障害者保健福祉の申請をして、国からの補助を受けながらの生活を勧められていました。私自身はそんなはずはない、こんなことでダメになるなんて絶対にない、薬さえ止めれば絶対に治ると主治医や家族に言い続けましたが、周囲は…私が正気かそうでないかの判断も家族ですら難しく、私の言葉を信じてもらえませんでした。私にはその状況が耐えられず、もともとの性格が、自立心が旺盛で誰かに頼るという事がとにかく嫌なタイプでしたから、もし本当に治らないのなら、家族や社会のお荷物になるくらいなら、死ぬしかないと、さて、どうやって死ぬのが一番迷惑をかけないで済むかを日がな真剣に考えている時期がありました。
その頃、療養のために借りていた小さいアパートに、母が私の身の回りの援助をするために週に2日ほど通ってきてくれていました。その頃の私は、周囲とのやりとりにも疲れて、治療薬の副作用もひどく、喜怒哀楽がスコンっと体から抜け落ちてしまっていて、痛くても悲しくても辛くても面白くても嬉しくても、な〜んにも感じない。顔はまるで能面のよう。私はまるで、ただ物を食うだけの肉の塊だと感じていました。ただ、くやしいとか、恥ずかしいという気持ちは意識の遠くにくすぶっているのはわかっていました。
ある時、もう息をすることすら、寝ることすら億劫で、なんにもせず、確かシンクの掃除をしている母をボーッと見ている私に、勘の鋭い母が嫌な気配を察知したのか、
「祥子ちゃん、ダメよ、順番は守ってね。命の順番は守るものよ」と掃除をする手を休める事なく、小さな声で私に言ったのです。
ショックでした。
天真爛漫な母にこんな思いをさせてしまっていること、母が娘の嫌な気配を察してしまうほどの、もうどうしようもない状況であることに改めて愕然としました。
そして改めて冷静にこの人を悲しませないためにどうするのか。死ねないならどうしよう→生きるしかない→今のまま生きることは、自分自身が許せない→絶対に治る自信があるのだから、あきらめちゃだめだ。
その後、主治医が離職したため、後任のあらたな主治医との治療が始まり、幸いその主治医とのコミュニケーションがうまくいって、断薬。私自身、完治したなと思えるまでさらに1年ほどかかりましたが、多くの人にお力添えをいただき、東京に戻って働きながら、完治に至りました。
それから15年ほど経ち、私は薬膳の資格をとって、さらに中医学の知識を深めるために勉強を続けながら、『心身の健康を食事で整える重要性と素晴らしさ』を伝えるために微力ながら活動しています。
この世に誕生して、まだたった1年しか経っていないチビちゃんの小さい寝息を聴きながら、部屋に戻って寝息を立てているだろう母に、全幅の感謝の思いとまだまだ健康で長生きしてほしいという思い、隣の部屋のソファで、孫とはしゃぎ過ぎて轟音の寝息を立てる相方の、娘と孫への思いを感じながら、「どうかMさん、そしてチビちゃん、『命の順番』はできるだけ守ってください。」と本当に心から願ったこの夏の1日でした。
大切な人の寝息を聞いていると、ホッとしますね。